56. 為朝死すべし
■為朝死すべし
為朝たちの戦いの出だしは上々です。城を守っていた棟孫と奇律之たちを簡単に蹴散らして、軍は石虎山を占めることができました。
朦雲はこれを受けて、いよいよ城の中から出てきました。斥候の報告によると、数100騎を連れて金城にいるようです。
為朝「よーし、いいぞ。あそこは大里に近い。オレが前から攻めて、白縫たちはちょうど後ろから攻められる。間髪を入れずに行くぞ」
陶松壽は、ここまでうまく行き過ぎていることに不安を隠せません。「相手はあの朦雲です、何も考えがないとは思えません。千里眼の術で色々と見通した上で作戦を立てていると見るべきです。ここから先鋒に出て行くのは、まずは鶴と亀に任せましょう。為朝どのはここで様子見を」
為朝「いいや、鶴と亀では、朦雲を相手にするには力不足だ。オレが行くのでなければ作戦は成り立たん。それっ!」
為朝がムチをふるって馬を駆け出させると、兵たちも士気をみなぎらせて、これを追って走りました。
やがて、金城の狭い平野を挟んで、為朝軍と朦雲軍は出会いました。頭に流星巾をつけ、体には蛇皮の法衣を着た朦雲は、左右に棟孫と奇律之を従えて、合計500騎ほどの軍の先頭に君臨しています。
為朝もまた軍の先頭に立って、金色のヨロイを日光にきらめかせながら大声で呼ばわります。「悪僧朦雲! 妖術をあやつり、国王を弑して王宮を踏み荒らす、その暴悪にくむべし。はからずも王女に繋がれたる縁によって、大日本・清和の嫡流、八郎為朝が、佞臣・利勇につづき、民草を塗炭から救うためにお前を討つ!」
朦雲はこれを聞いてカラカラと笑い、同じく大声でやり返します。「故国に居場所がなくなって、琉球に流れてきた浮浪人が何を言う。王女と密通し、大臣を殺し、王子の行方を捜すと称して山南省を征服するその暴悪こそ、そこらのケダモノと変わりがない。たまたま政務に忙しくて目こぼししてやっておったのに、わざわざこんな所まで死にに来たのは、火に飛び込む虫けらのようじゃ… 者ども、あれを討ち取れ!」
双方のドラが鳴り響き、喊声とともに戦いが始まりました。
棟孫と奇律之が為朝の左右から迫りましたが、為朝が身構える間もなく、後ろから鶴と亀が飛び出してきてこれらと激しく切り結びはじめました。棟孫たちはすぐに不利をさとって逃げ出しました。敵軍の士気は、これを見てやや乱れました。
為朝「よし、みんな、追え」
しかし、朦雲が空に手をやってクルクルと招くと、黒い雲が空中から湧き出て、それは怪しい人馬の群れになりました。これらの異形たちは武器を振り回して狂ったように暴れますので、味方の兵が今度は怖れてひるみました。
陶松壽は、汚物のタルをもった兵たちを急いでここに呼びやり、ひしゃくを使ってこれらのバケモノたちに汚いものを浴びせました。異形の群れはたちまち消えて、そのあとには紙でつくった人形がハラハラと舞い落ちました。
為朝「よしいいぞ、妖術も怖くはない。この調子で攻めるのだ!」
朦雲の軍の後ろのほうが、突然騒がしくなりました。朦雲はこれを振り返って焦っている様子です。
為朝「よし、あちらは白縫が突いているようだ。朦雲が王宮に戻る道は封じたぞ」
帰る道を失った朦雲は、兵に車を運ばせて、北にある長川のほうに逃げました。これを為朝が見とがめ、「逃げるとは卑怯な」と叫びながら、隊の先頭に立って追い始めました。
陶松壽「為朝どの、深追いは危険です!」
為朝は、松壽が止めるのも聞かず、どんどん追いました。やがて、中山と山南の境のあたりの森のほとりに到りました。朦雲がどこに行ったか分からず、兵たちは不安げに左右を見渡します。気づけば、昼間のはずなのに空はどんどん暗くなってきており、気がつけばお互いの顔さえ見分けられないほどになりました。
続いて激しい風が吹き、細かい砂利が兵たちの顔を打ち始めました。たまらずに両手で顔を押さえたところに、今度は雨のような矢が降り注ぎました。兵たちはこれに当たって死に、または逃げようとして転んで味方の刀で死に、みるみる数を減らしました。近くからは「為朝を撃て、為朝を逃がすな」という声がガヤガヤと聞こえつづけます。
為朝「いかん、謀られた。鶴! 亀! 松壽! 無事か」
誰からも返事が返ってきません。矢にあたって倒れたのでしょうか。それとも、混乱の中、はぐれてしまったのでしょうか。為朝は仕方なく、ひとり、矢を避けながら、馬を駆り、適当な方向に走り続けました。
目の前にすこし光が見えました。深い森の中に、燈籠がひとつ灯っているようです。
為朝「あれは民家か? それとも何かの祠かな」
為朝は灯りに近づいて、何があるのかを調べました。草が高く繁った中に、一本の看板が立っており、「島袋」と記されています。ここは島袋なのでした。しかし、そこにはさらに赤い字で何かが書き足されています。
為朝がより近づいて目をこらすと… それは「為朝、ここに到りて、死すべし」と読めました。
為朝「いかん!」
島袋は、四方を山に囲まれており、入り口は東のほうにひとつあるだけです。為朝は文字通り「袋のネズミ」となってしまいました。急いで東の入り口に駆け寄りますが、そこにはもう、いっぱいに柴が積み上げられていました。簡単には取りのけられそうにありません。
そうしているうちに、さっきの燈籠が倒れ、草に火がついて、八方に火が燃え広がり始めました。さっきと同じような激しい風が吹いて、島袋の土地一帯は火の海になりました。為朝の乗ってきた馬は、燃えながら狂ったように走り回り、やがて真っ黒いかたまりになって倒れました。
為朝は、宝剣・鵜丸を使って火を払いのけつづけましたが、これだけの猛火を防ぎきれるはずがありません。鎧も燃え落ちて、どうしようもなくなりました。
為朝「何度も奇跡に助けられてここまで生き残ってきたオレも、いよいよこれまでなのか。賊の妖術なんかに負けるとは、悔しくてならん!」
さて、こちらは大里の白縫です。為朝が朦雲を相手に好調に戦っているという報告があったので、大里には100騎の兵を残して、自分は儀翰・田平を連れて出陣しました。
しかし、王宮の方向を目指して山道を行くうちに、島袋の方向で火があがったのを見つけました。
白縫「あの火は?」
すこし馬を止めてこの火を眺めていると、大里に残してきた兵が追いついてきました。全身が血だらけです。
兵「大里が奇襲されました! 朦雲の手下、全廣の軍です。王女が出て行ったあと、すぐに城に突入してきたのです。あそこの兵は全滅しました。ここに来る道中、南風原や東風平も落ちてしまったと聞きました」
白縫「…!」
白縫たちが絶句していると、前方の坂の上に、棟孫の一隊が現れました。数百の兵をつれています。
棟孫「ばかめ、お前らのボス為朝は、長川で1000騎の兵をすべて失い、そしてヤツ本人は、島袋で火攻めにあって灰になったわ。おとなしく投降せよ!」
白縫の目の色が変わりました。「おのれ、小ざかしいネズミども。夫とともに武名をとどろかす、白縫の剣をあなどるなよ。目にもの見せてやろう」
ワッと喊声をあげて坂からなだれ落ちてくる敵兵たちを、白縫はバサバサと切り伏せました。白縫の手並みに驚いた敵たちは、今度は木や岩の陰にかくれて、矢をあびせてきました。味方の兵はつぎつぎと倒れていき、白縫も矢を切り落とすのに追われてなかなか動きが取れない状態です。
さらに、今度は後ろから、さっき大里を攻め落としたという全廣の兵たちも迫ってきました。挟み撃ちです。
儀翰と田平が、白縫をここから逃がすために、両側について守りつづけました。白縫は辛うじて敵の囲みの薄いところを騎馬のまま突破しましたが、儀翰・田平は、この代償として、全身に矢を突き立てられて絶命しました。
白縫は、後ろを追ってくる敵を時おりナギナタで払いながら、単身落ち延びていきました。夕方になり、そして日が暮れ終わったころに、やっと追ってくる敵兵がいなくなりました。
白縫「ここから島袋は遠くない。せめて、夫がどうなったのかをこの目で見定めてから死にたい」
時間はすでに深夜です。白縫はようやく島袋に到着することができました。しかし、そこは一面の焼け野原があるばかりです。
白縫「為朝さま… 為朝さまはどこに」
白縫は燃え残る草をナギナタで刈り払いながら為朝を捜索しますが、彼の姿は見つかりません。ヨロイの燃えかすと、馬の焼死体は見つけられました。しかし、為朝が焼け死んだのなら、骨くらいあるはずです。
白縫「骨は敵に奪われたのか、それとも火が激しくてそれも残らなかったのか… どちらにしても、あの人は死んでしまったのだわ。おお、武運つたなく死んでしまった御曹司、私もすぐにあとを追います」
白縫は、涙をボタボタこぼしながら、燃え残った草や木の枝を掻き集め、けっこう激しく燃え上がり始めた炎の中に飛び込もうとしました。そのとき、どこからか「待て」という声が聞こえました。
白縫「?」
声は、馬の死体の中から聞こえました。驚いて白縫が見守る中、この馬の腹の中から、為朝が這い出てきました。
為朝「おまえ一人か、白縫?」
白縫「おお… 為朝さま! ご無事で!」
為朝「ああ、こちらは朦雲の幻術にやられてしまったよ。そちらは…」
白縫「こちらも…」
二人は互いの戦場の様子を報告しあいました。戦は惨敗というほかありません。
為朝「オレは単身ここにおびきよせられて火攻めにあい、いったんは死を覚悟したが、かろうじて機転を利かせ、馬の腹を裂いてその中に隠れたんだ。敵の目を避けるため、今までこうしていた」
為朝「今回の戦は大失敗だ。しかし、お前が生きていたのは不幸中の幸いと言うほかない。この屈辱にたえて、いつかまた戦いのチャンスが来るのを待とう」
白縫「ええ…」
為朝「陶松壽・鶴・亀、あいつらも、生きていてくれればいいな。そうなら、まためぐり会えることもあろう。しかし、さしあたり、オレ達がここから逃げ出さねばいかんな。一緒に行こう」
白縫「はい」
為朝と白縫は、島袋を出て夜通し走り、翌朝には具志頭を越え、松山の磯に着きました。しかし、二人はもう疲れ果てています。ここから舟でも探して遠くの島に渡りたいところですが、そういうのも見つからなさそうです。
為朝「動けるか、白縫」
白縫「もうだめかも」
為朝「うむ、正直、オレもだ」
疲れて座り込んでいると、遠くのほうから、為朝軍を掃討するための兵たちがバラバラと近づく気配が迫ってきました。前は海、後ろは敵。
為朝「もうだめか…」
いよいよ死を覚悟した為朝は、岸に繁る芦のヤブの中から、「お乗りなさい、はやく」という声を聞きました。
これは誰でしょう?