59. 白縫、死者たちを想う
■白縫、死者たちを想う
琉球の端の無人島である姑巴島において、為朝たちは、今まで行方が分からなかった舜天丸と紀平治に出会うことができました。白縫は今は寧王女の体を借りた存在ですが、その話し方や振る舞いは在りし日の白縫と全く同じなので、舜天丸や紀平治もだんだんと違和感を感じなくなっていきました。
為朝は、今回の敗戦のことをずいぶん反省しているようでした。
為朝「私は子供の頃から今まで、戦において不覚を取るということが全くなかった。保元の乱は負け戦だったものの、あれは頼長公が私の策を用いなかったからで、私のミスではない。しかし今回だけは…」
為朝「あの妖僧・朦雲を、私はナメていたという他はない。妖は徳に勝つことなし、と信じるあまりに、慎重さを欠いたのだ。一生の不覚とはこのことだ。しかも、巴麻島の童子によれば、今年は私にとって星の巡りが非常に悪いということなのだ。悪い要素がいくつも重なっていたのだな」
為朝「しかし、もう大丈夫だ。絶対に再び負けることはない。来年の春を待って、リベンジ戦に打って出よう。林太夫よ、お前はいったん佳奇呂麻に帰り、来年3月ごろにもう一度ここに来てくれ。それまでに準備をする」
林太夫は、この話に承服できません。「い、いやいや。私だけが出て行くなんてイヤですよ。そもそも、この島は小さくて、朦雲があなたがたを見つけてここに攻めてきたら、とても危険です。佳奇呂麻にみなさん一同で来ていただけば、周辺の島々も加わって、住民たちが全力でお守りします」
為朝・白縫「ふーん、どうするのがいいかな…」
舜天丸がこの話に加わります。「この島は、朦雲に見つからないと思いますよ」
為朝「ほう、どうしてだ」
舜天丸「もし見つけられるのなら、この7年間の間にとっくにここに攻めてきていたはずですからね。佳奇呂麻に行くほうが、見つかるリスクはむしろ高いです。そうすれば、準備もそこそこに朦雲軍と戦う羽目になりかねない」
舜天丸「あと、この島の名前が、とても縁起がいいんですよ。姑巴島は、蠱を破るという語呂があります。父上が童子に会ったという巴麻島も、ズバリ、破魔の島です。この島から兵を起こして朦雲に立ち向かうというのが、いかにも素晴らしい。どうでしょうか」
為朝はこの意見に感心し、ヒザをポンと叩きました。「見事な議論だ、息子よ!」
紀平治と白縫も、舜天丸の賢さに改めて感動しました。結局彼の意見は受け入れられ、来年の春までこの島にとどまることになりました。
為朝「そういうわけだから、林太夫よ、お前だけが佳奇呂麻に帰るのだ」
林太夫「そんなあ。私はここにとどまって皆さんの役に立ちたいですよ。舟の中には、こんなこともあろうかと食料・衣服・工具なんかを積んできたんです。来年までに、私は軍船をひとつ作ることができますよ。ね、役に立てるでしょ」
為朝はこれを許しません。「太夫よ、お前には島に残した家族がいて、お前の帰りを待っているのだろう。彼らを心配させ、苦しめてはならん」
紀平治も太夫を諭します。「船なら、私も作れるよ。大丈夫、私も海育ちなんだ。老いの手すさびにちょうどいいさ。まあ、せっかくだから、工具は太夫に借りようと思うけど」
為朝「おお、紀平治、頼もしいな。太夫、だから安心して戻ってくれ。来春の3月になるまでは、我々のことも皆に話さずに、こっそり力を蓄えよ。そして、為朝が宜野湾・浦添を攻めるというウワサが聞こえてきたら、それを手伝いに駆けつけてくれ」
林太夫「わかりました、それでは、仰せのとおりに…」
こういうわけで、この島には為朝・白縫・紀平治・舜天丸だけが残りました。彼らは日夜、どうやって朦雲と戦うのかを話し合いながら過ごしました。やがて年は暮れ、そして、あっという間に、草木にうっすらと緑色が戻る季節になりました。あれから100日が過ぎていました。
紀平治は、この間に、島の木を切って一艘の軍船を作り終えました。見た目は老いてガリガリでも、さすが神の桃を食べてきた身です。むしろ、若いときの力が戻ってきたかのような元気ぶりでした。
為朝「よし、時節は到来した。今こそ作戦を決行するぞ。まずは我々は中山に忍び入り、首里の偵察と、王子の捜索をするのだ。その後、チャンスがあれば、手始めに浦添の城を落とす。我々が旗揚げしたことを知れば、陶松壽・鶴・亀たちが(生きていれば)我々に合流しにくるだろう。みんな、用意はいいな」
白縫・紀平治・舜天丸「おう!」
4人は、林太夫にもらっていた服を着て、硫黄商人の格好に扮しました。そうして、島からすべての荷物をひきあげ、船に搭載しました。三本の破魔矢や、源氏の兵書などももちろん忘れません。
紀平治「では行きましょう!」
紀平治が船をこぎ、一同は島から出発しました。春の海はおだやかで、海路はきわめて快調です。本島の南には船をとめず、那覇・泊をスルーして、船は大栄川に着きました。一同はここで船を乗り捨て、行李を背負って陸に入っていきました。4人で群れになっては目立ちますから、為朝と舜天丸がまず先に行き、白縫と紀平治は充分後ろに距離をとってこれを追います。
名護を超え、恩納嶽のもとまで来ました。ここで野宿し、翌日もまた先に行きます。白縫は、そういえばこの山に王女(と私)は逃げて入り、そこで査國吉に会ったのだ、と思い出しました。
白縫「(査國吉… 激しい忠義をもった勇士だった。そして、毛国鼎と新垣… 私が生きているのは、彼らの魂が私の行く先を導いてくれたおかげでもある)」
さらに一同は先に行き、越来に入りました。そこは忘れもしない、真鶴が激しく戦って、王女を守るために忠死した場所でもあります。石の橋を渡るとき、白縫の胸は彼女を思って激しく痛みました。
白縫「(真鶴…)」
白縫は、物思いにふけるあまり、時々紀平治に大丈夫かと呼びかけられながら、さらに先に走りました。
やがて、日が西に傾いてきたころ、一同は中城の東、姑場の山里に来ました。ここは、寧王女の母であった廉夫人が自ら刀に伏して死んだ場所です。白縫の心が今は入っているとはいえ、王女の体はこの悲しみを無意識に感受することができるのでしょう。非常に切ない気持ちが胸を締め付けます。
白縫は、道のほとりに、誰が立てたとも知れぬ卒塔婆を発見しました。
白縫「(母上)」
その卒塔婆が廉夫人のために建てられたものかどうか、それは分かりません。しかし、この地の誰の悲しみも、今の白縫には自分の悲しみのように感じられるのでした。彼女は立ち止まるとこの卒塔婆に手をあわせ、母の冥福、そして、悲しみを負ったものすべての慰めを願い、祈りをささげました。