60. 陶松壽のあやまち
■陶松壽のあやまち
為朝と舜天丸は、白縫たちより先に進んでいます。日が暮れてきましたので、今晩どこで夜を過ごすかをそろそろ決めなければいけません。
舜天丸「あそこに一件だけ小屋がありますね。宿を頼めるかたずねてみましょう。昨日は野宿でほとんど眠れなかったですから、母上のためにも、今晩はなんとかしたいです」
谷陰にひっそり立つ小屋を、為朝たちは訪ねてみました。中には、30歳くらいの女性がひとり、芭蕉布を織る仕事をしていました。こんな僻地に似合わないような美人なのですが、片目が見えない様子です。
為朝「ごめん。旅の商人ですが、一夜の宿を貸してはもらえんだろうか」
女「おや、こんなところを旅されるとは珍しい。せっかくの縁ですから、どうぞお泊まりくださいな。人数分のフトンもないし、こんなボロ屋でよければですが…」
為朝「雨風さえしのがせてもらえれば、充分ありがたい。これからさらに二人来るのだが… 床で寝るから構わない」
女は、貧しいなりに、せいいっぱい二人をもてなしてくれました。足を洗ってくれたり、湯を湧かして茶碗についでくれたりしました。
為朝「ここのご主人は?」
女「ちょっと出かけていますが、じきに戻るはずです」
為朝は、それとなく家の中を見渡し、ここの主がどういう仕事をしているのかを推測しました。狩人っぽい特徴はありませんし、他の仕事がここらにあるようにも思えません。可能性があるとすれば…
為朝「(もしかして山賊かな)」
為朝は、じゅうぶん警戒することにしました。女はいろいろと話しかけてきます。
女「夫は山で木を切り、私は布を織って売るという生活をしています。ねえ、最近のニュースをご存じですか。さきに新国王に戦をしかけて敗れた為朝という男とその妻が、賞金をかけられて国中に指名手配になっているんです。もう死んだってウワサもあるんですが、朦雲法王はまだ安心していないんですって。だから最近は、知らない客を泊めるのを嫌う人が多いわ。でも私の夫は男気のある人ですから、絶対にあなたがたを追い出したりしないはず」
為朝・舜天丸「(え、オレ達の正体知ってるってこと? それともカマかけてんの?…)」
女「それにしても、夫の帰りが遅いわね… 私、ちょっと外を見てきます。どうぞゆっくりしていらして」
女はこう言い残すと、そそくさと家を出て行ってしまいました。為朝と舜天丸は、いろいろ心に引っかかることがありすぎます。
舜天丸「あの女性、さっきから父上の挿している刀をチラチラ見ていましたよ。我々の正体を知ったんじゃないでしょうか」
為朝「どうもここ、山賊の住処っぽい気配なんだよな。または、ズバリ朦雲からの追っ手かな」
舜天丸「逃げましょう」
為朝「いや… もしもここが敵の家なら、外もみな敵地ってことだ。どうってことはない、出るものに出てこさせよう。みんなぶっ倒して進めばいいのだ」
そのとき、家の外に「ここだ、ここだ」という声が聞こえました。敵たちかと思いかけましたが、声は紀平治のものです。為朝が目印に外にかけておいた笠を発見して、ここが今夜の宿だとわかったのです。紀平治と白縫が家の中に入ってきました。
白縫「よかった、会えたわ。無事だったのね。こんなに遅くなるつもりはなかったのだけど、さっき、道の途中でちょっと問題があったのよ」
為朝「ほう、何があったんだ」
白縫の説明によると、ここに来る途中で、猟師っぽい男達が何やら内輪もめしていたのを目撃したということです。
白縫「詳しい内容は分からないけど、男たちのうち数人が、『為朝を捕らえるべきだ』と言い張っていたわ。そして、残りはそれに反対していた」
紀平治「この話し合いを聞いて警戒した私らは、人目につく道をなるべく外れて、獣道のような細い道を通ってやっとここまで来たんです」
為朝「そんなことがあったのか」
白縫「話はそれだけじゃないわ。その細い道を通っている途中、今度は別の女に会ったの。片目が見えないっぽい感じだった。私たちのことを見て、こんなことを言ったのよ。
『あなたがたは、お連れに遅れて追いつこうとしている方々ではありませんか。私の家に、40歳過ぎの男性と、10代の少年が留まっています。早く行ってあげなさいませ。家への道は、云々…』
そう言い残して、女は私たちと反対の方向に去って行ったわ。その女は、去り際に、小さな板切れを一枚、袂から落としていったんです。拾ってみると、そこには、『一人田土夫婦』と書いてありました」
ここまで情報がそろえば、あの女性が何者かはほぼ明らかです。
為朝「なるほど、やはりあの女は我々を陥れるために朦雲の密命を受けているのだ。『一人田土夫婦』… この字を組み立てれば、『大里夫婦』ではないか。大里の領主であったオレのことを指しているんだ」
舜天丸「あの女は、付近の仲間を集めに出て行ったんですね。父上、やはりすぐにここを逃げなければ」
為朝「いや… ここで退いてはいかん。我々を追う敵にあえて立ち向かい、向こうの勢いをくじくのだ。みな、しばらくオレに任せてくれ」
為朝は他の三人に屏風のウラに隠れてもらうと、いろりの火を消して、暗闇の中、部屋にポツンと座り、何者かが来るのをじっと待ちました。
ガタガタと戸を開ける音がし、「帰ったぞ、千歳。おい、いるのか」と男の声がしました。「おい、オレだ。寝てるのか」
その男は、暗い部屋の中に入ってきて、「おい、火まで消して、ズボラだなあ…」といいながら、手探りで火打ち石を探し、近くの行灯に火をともしました。
灯りは、為朝の横顔をぼうっと照らします。
男「わあっ!」
男は予想外の出来事にビックリし、…そして為朝と目を合わせると、今度こそ本当に仰天しました。
男「…た、為朝どの!」
為朝「…なんと、松壽か?」
なんと、入ってきた男は、最後の戦で行方が分からなかった陶松壽だったのです。
陶松壽は泣きます。「お… おお、為朝どの。よくぞ、よくぞ生きていらっしゃいました。為朝どのも白縫どのも死んだというウワサを聞いて、私はすっかり絶望していたのです」
陶松壽「私はあのときよほど自殺しようと考えましたが、せめて朦雲に一太刀あびせるまで絶対に死ねない、と思い直し、ここに今まで隠れ住んでいました。よかった、今まで恥を忍んで生きていてよかった…!」
陶松壽「…為朝どの? どうされた。どうして喜んでくださらん」
為朝は、冷めた目で陶松壽を見据えています。
為朝「…で、久しぶりに会ったオレを、さっそく捕らえて朦雲への手土産にしようというのか?」
陶松壽「!? 何のことです」
為朝「とぼけおる。あの女は、朦雲にでもあてがってもらったか。あいつが仲間を呼びにいったことは分かっているのだぞ」
陶松壽「何をおっしゃる。あの女は、私が逃れてきたこの家に、はじめから住んでいた女です。ま、まあ、死んだ真鶴に妙に似ているところがあって、なんとなく今では夫婦のような暮らしをしていますが… ともかく、君眞物に誓って、私はあなたの味方です。朦雲に寝返るなんて、できるはずがないでしょう。こんな誤解をされるとは情けない…」
為朝はなお松壽を信じません。「みんな、出てこい。こいつに、動かぬ証拠というものを見せてやろう」
屏風のウラから、白縫・紀平治・舜天丸が現れました。
白縫「見損なったわよ陶松壽。私はさきに聞いたのよ、付近の猟師たちが『為朝を捕らえる』と口にしていたのを。あれはお前の手下なのでしょう」
紀平治「さらにひとつ。私が拾った、この木札を見よ。あの千歳とかいう女が落としたのだぞ。『一人田土夫婦』… これは、為朝さまが現れたことを周りに触れまわるための暗号だな」
舜天丸もさらにダメ押しします。「陶松壽よ、父はお主のことを高く評価していたのだぞ。裏切り者になるとは残念だ。私は、さっきあの女が、やたらと父上の刀をチラチラ見ていたのに気づいていたぞ。明らかに、お尋ね者・為朝の特徴を確かめていたのだ。ここまで言わせて、まだ言い逃れするか。とっとと正体を見せて、仲間でも何でも呼ぶがいい。この舜天丸の手並みを見せてやる!」
陶松壽「…」
陶松壽は、刀の切っ先を向ける紀平治と舜天丸の方向に、自分が帯びている刀をサヤのまま抜いて放り出しました。そうして、力なく頭をたれました。
陶松壽「そういうことですか。確かに、疑われて当然でしたな。あの千歳がそんなことをしましたか…」
陶松壽「わたしがここに潜伏しようとしたのは、廉夫人が死んだ場所や、妻・真鶴が死んだ場所が近くにあるからだったんです。あの戦の直後、まず私は、二本の卒塔婆を彫り、それをあの二人が死んだ場所にそれぞれこっそりと立てました」
陶松壽「そうしてこの山に戻る途中、片目の女に出会ったんです。両親を失い、布を織って一人暮らししているということでした。不思議と、この女には真鶴の面影がだぶって見えました。私は心細げな彼女を捨て置くことができず、いつしかここで二人で暮らすことになったのです」
陶松壽「しかし、今の為朝どのの話を聞いて分かりました。彼女は、私をだますために朦雲によって遣わされた魔物なのですね。私を利用して為朝どのを捕らえるための… 魔女・海棠にだまされたあの利勇と、なんら変わるところがない」
陶松壽「例の『一人田土夫婦』の木札は、私がつくったのです。しかし、あなたを捕らえる仲間を呼ぶためではない。為朝どの・白縫どのの供養のために、川に流そうと思って作ったのです。ズバリ為朝と書くと、朦雲たちに感づかれてしまいますからな。しかし、このことは千歳は知らなかったはず。なぜこれを私の手元から盗んだのか、分かりません」
陶松壽「ともあれ… みな私の心の弱さから出たミスと言えましょう。今まで、あえて憎まれ役を演じたりもしながら、我が師・毛国鼎の教えに従い、利勇をだまして役目をこなして来ました。それが今や、私は本物の裏切り者と成り下がってしまった。これ以上生き恥をさらしたくはない。死んでおわびする!」
陶松壽は手近なきぬた(洗濯用の棍棒みたいなもんです)を手に取り、これで自分の頭を砕いて死のうとしましたが、紀平治と舜天丸に力尽くで止められてしまいました。松壽は顔も上げられず、グッタリと力を落としています。
為朝は悲しい顔をしてこれを見守っていました。「今の言葉は、偽りとは思えないな。なるほど、そういう事情だったのか。あの女が真鶴に似ているのは、朦雲の妖術によって生まれた女だからだと考えると、なるほど、つじつまがあう。陶松壽、哀れな…」
為朝は、腰に挿していた刀を抜いて、目の前に置きました。
為朝「あの女が目をつけたこの刀、これは、かつて我が父・為義が崇徳院から賜った宝剣、鵜丸という。これをオレは、崇徳院の墓で手に入れた。新院の霊に従って現れた父の霊が、これを私にくださったのだ。今までたくさんの敵を斬り、そして幾度となくオレのピンチを救ってきた宝剣、これがこの鵜丸だ」
為朝「この剣を、しばし、松壽よ、お前に貸し与えよう。魔女・海棠もこの剣によって殺すことができた。必ず、あの女も殺すことができるはずだ。松壽よ… お前自身の手であの女を殺せ。そうして今回の事件のけじめをつけ、色に迷った我が身の恥をそそぐのだ」
陶松壽「…」
松壽は、ゆっくりとその刀に手をのばし、そしてしっかりと握りしめました。
陶松壽「やります。あの魔女も、それが連れてくる輩も、みな私がこの場で討ちとめてみせます」