61. 真鶴の太刀
■真鶴の太刀
かりそめの夫婦として暮らしてきた千歳が朦雲の手先だったらしいことを陶松壽は悟り、みずから彼女を誅殺することを為朝に約束しました。
月光が明るく冴える夜です。為朝ら全員にふたたび屏風のウラに隠れてもらい、松壽はひとり、部屋の中に座って、千歳の帰りを待ちました。その手には、いつでも抜けるよう鯉口をゆるめた宝剣・鵜丸が握りしめられています。
やがて、外の垣根をメリメリと押しのけて何者かが庭に侵入する気配がしました。状況からして、千歳が呼んできた刺客と思われます。松壽はこれを知りながら、それがさらに近づいてくるのをじっと待ちます。
その人物は、忍び寄る蛇のように音を立てず、縁側から中に忍び入ろうとしました。ここまで引きつけた後に、松壽はサッと走りより、これの首を丁と切り離しました。そして月明かりの下、これが誰かを確認します。
松壽「これは… 近所の猟師、辰平だな」
辰平の懐から、呼び子笛が転がり落ちました。なるほど、為朝がいることを確認したら、これを吹いて残りの連中を呼び寄せようというのでしょう。松壽はこれをピュッと吹いて、さらに誰かが来るのを待ちました。
次に同じ場所にそっと現れたのは、同様に近所の猟師である、玖馬と蝮宗でした。縁側に立って彼らを待ち受けるのが仲間の辰平と思い込んだ二人は、このまま松壽に近づいて、そしてアッと驚きました。はじめに蝮宗が一気に首を切り落とされ、これを見て逃げようとした玖馬が、背中を断ち割られて死にました。
血の海に沈んだ三人を横に蹴りのけて、陶松壽はさらに静かに待ちました。「まだだ… あいつを殺すまでは、オレは為朝どのに忠義を証明できん」
それから少しして、今度はパタパタという足音とともに、千歳が戸を開けて家に入ってきました。そして、おおきなヒョウタンの容器をふたつ、ヨイショという声とともに床に降ろしました。
千歳「フー、粟を買いに行くのに遅くなっちゃって… みなさん? (小声)もう寝てしまったのかしら?」
こうつぶやいて、部屋への板戸をそっと開けると… そこに、月の光をきらめかせた刃が振り下ろされました。千歳はキャッと叫んで後ろに倒れましたので、刀は千歳のかわりにヒョウタンを横に真っ二つにしました。ザラリと粟がこぼれます。
千歳「…あなた! どうしたんです。な、何か… 私が怒らせるようなことをしてしまいましたか。この半年、今まで一度も怒ったことがないあなたが」
陶松壽「オレが何に怒っているか、だと。おまえの胸に問うがいい」
千歳「何の…」
陶松壽「お前が呼び入れたあの三人、辰平・蝮宗・玖馬はオレが退治した。お前の企みは失敗だ。観念するがいい」
千歳「何をおっしゃるのか分かりません。ゆ、許して!」
陶松壽が再び打ちかかるのを、千歳は転がりながら必死にかわします。髪を縛っていたヒモが切れ、黒髪が乱れて床に広がりました。
しかし、陶松壽の怒りの切っ先をかわしきることはできません。手をついて起き上がろうとした千歳は、肩から乳の下までをズンと裂かれ、声もなく倒れてそのまま息絶えました。
為朝たちは、屏風から姿を現しました。
為朝「見届けさせてもらった、松壽。痴情の迷いを見事に振り切り、この妖婦を滅ぼしてみせたな。たしかにこの者は人間でないようだぞ。さっきから隠れて見ていたが、障子に影が映っていなかったのだ。さて、あれの正体が何だったのかを確認しよう」
為朝と紀平治は灯りを持って千歳が倒れた場所にしゃがみ、そこに落ちているものを確認しました。「これは何だ。…卒塔婆か?」
そこに落ちていたのは、為朝が見たとおり、何も書かれていない一本の卒塔婆でした。ナナメに刀の傷がついています。陶松壽は、のろのろとしゃがみ込み、これを拾い上げてじっと見つめます。
陶松壽「これは… 私が作ったものです」
為朝「?」
陶松壽「真鶴の… 供養に… これを作って、石橋の近くに立てたんです。廉夫人のものと同様に。…人目を忍ぶために何も文字を入れませんでしたが、ここに木の節があったので、よく覚えています。間違いない。しかし… どうしてこれがここに」
これが何を意味するのかが分からず、一同は混乱しました。その中でひとり、白縫は、道の途中で見た廉夫人の卒塔婆を思い出していました。「あれと同じもの… そうだわ、石橋には、立っていなかった…」
千歳が何者だったのか、また我々は彼女に何をしてしまったのかという結論を出すのが怖く、一同は黙り込んでしまいました。そのとき家の外に、5、6人の猟師たちがタイマツを持って現れました。だれかを縄で縛って連れているようです。
猟師たち「為朝どの、陶松壽どの。あなたがたのことを当局に密告しようとしていた者たちを捕らえました。我らは、朦雲を憎み、あなた様たちに忠誠を誓うためにここに参ったものです」
為朝「どういうことだ、もっと詳しく話せ」
猟師たちは説明をはじめました。すなわち、さきほど一人の女が猟師たちのもとに来て、ニュースを触れ回ったのだと言います。『今こそ暴君・朦雲を倒すときが来ました。英雄・為朝が帰ってきて、再び旗揚げをしようとしているのです。何を隠そう、わたしの夫は、東風平の領主にして為朝の同志、陶松壽なのです。今こそ集結してください、みんな!』
猟師「この知らせで我々は喜びに湧きました。あたりの猟師たち全員を呼んで義兵となり、ここに駆けつけようとしたのです。しかし、この中で5人だけは、『為朝を捕らえ、朦雲に差し出したほうが得である』という主張をし、我々の説得も聞かず、別行動を始めてしまいました」
猟師「放ってはおけませんから、我々はまずこの5人を捕らえることにしたのですが、そのうちの2人だけをこうして見つけて捕まえることができました。おかしなことに、この2人は道ばたで金縛りにあっていたのです」
この場で縄で縛られている2人がそれでした。為朝がこの2人に「なぜ金縛りにあっていた」と聞くと、震えながら「例の女がオレ達を見つけて立ちはだかり、『お前たちには勝手はさせない』と言って謎の術を使った」と証言しました。
為朝は、痛恨のため息を吐きました。「…何ということだ、あれは朦雲の妖術なんかではなかったのだ。陶松壽の妻・真鶴が、死んでなお、夫に尽くすために、仮の姿を現していたのか。それを、オレはあらぬ疑いをかけてしまい…」
為朝は、さっきここで起こったことを猟師たちに聞かせました。猟師たちは千歳に降りかかった不運に驚き、また哀れんで泣きました。みな、寧王女を救って死んだ烈女・真鶴のエピソードはよく知っているのです。
為朝「みんなこのオレのあやまちだ!」
舜天丸「いいえ、私のあやまちです。私はまだまだ、人を見る目がないガキだったことを思い知りました。後悔してもし切れない…」
紀平治「そうか、あの女が『一人田土…』のフダを我々に見せたのは、わざとだったのか。難しく考えることはない、為朝さまが先に来ているぞ、というメッセージに過ぎなかったのだ」
陶松壽は…
彼は、こぼれた粟を手でかき寄せながら声を詰まらせていました。「なぜだ、なぜお前はオレに言ってくれなかった。自分が真鶴の霊なのだと…」
そして少し間をおき、松壽は上を向きます。声は震えていても、泣いてはいません。「まだいるか、真鶴。聞いてくれ、おまえのおかげだぞ。おかげで私は、再び面を起こすことができるようになるのだ」
松壽の代わりに泣いているのは白縫です。「あわれ、結婚してから一晩しか一緒にいられず、そして死後になお、みずからの夫からこんな仕打ちを受けることになるなんて… なんと幸の薄い、かわいそうな真鶴…」
陶松壽は冷静さを取り戻しました。「ありがとうございます、白縫さま。みなさまもありがとうございます。みながそれほど想ってくださるならば、きっと真鶴も浮かばれます。これはこれで、もう済んだことです。先のことを考えましょう。まずは為朝どの、これをお返しいたす」
松壽は鵜丸を為朝に返しました。
為朝「うむ。今回のこと、オレは心にかたく戒めなければならん。そして松壽と真鶴の強い義の心を賞したい。今後、この剣のことを、鵜丸あらため、真鶴の太刀と呼ぼうと思う」
松壽は、こらえていた涙が再びあふれ出すのを止めることができませんでした。
(余談ですが、猟師のひとりが疑問を述べました。どうして千歳は片目が見えない姿で現れたのか、ということです。舜天丸がこれに即答しました。つまり、卒塔婆の片目の位置が、木の節だったからというわけです。なーるほど)
翌朝、この卒塔婆は山の上に運ばれました。みなはこれを真鶴の体とみなして葬儀を行い、その場で火葬しました。また、縛られていた二人の猟師(未小八と申大七)は、心を入れ替え、為朝に従うことを誓って許されました。