62. 81人の首
■81人の首
さきの戦いで為朝軍は敗北しましたが、鶴と亀もなんとか敵の囲みを切り抜けて命を長らえていました。彼らは、その後流れてきたウワサにより、為朝も白縫も死んでしまったと考えました。しかし、彼らには母のカタキである阿公を倒すという宿願がありますから、そのチャンスがいつか訪れることだけを願って、その後、潜伏を続けました。
彼らは佳楚嶽に身を隠し、そこで鳥獣を狩って食料にしながら半年あまり過ごしました。しかし、ここでは都から遠すぎて、戦で散り散りになった人たちがどうなったかを知る手がかりを全く得られません。
鶴「首里に近い、城山に隠れ家を移すのはどうだろう。あそこなら生き残りたちのウワサを得られるだろうし、もし再び戦をするようなことになってもすぐに集合できる」
亀は賛成しました。二人は、それぞれ別々のルートを選んで城山で待ち合わせることにし、兄は西方向へ、弟は東方向へと分かれて旅立ちました。万一どちらかが敵に見つかっても、なお一人が残るようにとの作戦です。
20里ほどの道のりを数日かけて進み、まず亀が城山の頂上に着きました。
亀「兄上はまだ着いていないのかな。いちおう、付近を探してみよう。しかし今日はもう暗いし、疲れた…」
亀は、谷にすこし下って、野宿によい場所はないかと探しました。猟師たちが時々使う無人の小屋を見つけることができましたので、亀は喜び、ムシロをかき上げて中に入ると、倒れ込むようにしてそこで眠りました。
実は、鶴のほうが亀より2日ほど先にここ城山に着いていたのです。しかし鶴は、亀がくるのをここで待っているうちに、空腹に耐えられなくなりました。獲物を狩るための弓矢は持っていますが、城山には獣も鳥もおらず、果実さえもほとんど見つけることができないのです。
鶴「いかん、どこかで食べ物を分けてもらわんと、もたない」
鶴は、どこか人の住むところがないかと、山をすこし下りかけました。すると、たった一件だけ、谷陰のあたりにちいさな小屋を見つけることができました。
鶴「おかしなところに小屋があるものだ… 誰かいてくれるといいが」
鶴は、険しいガケを降りてその小屋にたどりつき、「どなたかいらっしゃいますか」と呼びかけてみました。すると、入り口から一人の男の子が走り出てきました。
男の子「こんなところに人がたずねてくるなんて」
鶴「うん、道に迷ってしまって。ぜひ宿を貸してほしいんだ」
男の子「ここに泊まるのは危険です。家のあるじは今外に出ていますが、あの人はきっとあなたを生かしておきません」
鶴はすこし迷いました。いちおう自分も武士のはしくれ、殺されるからと脅されて簡単に引き下がるのでは、あとで弟に顔が立ちません。とはいえ、自分の命をあまり軽々しく危険にさらすのは、父母のカタキを取るという大目的のためには避けるべきです。
鶴「そうか、それは非常に残念だ。それでは、何か少しだけでも、食べ物を分けてもらえないかな。とても疲れて、お腹が減っているんだ」
男の子は考えると、「まってて」と言い残して小屋に入り、やがて両手いっぱいの椎の実を持って出てきました。
男の子「これを食べてよ。この辺では、食べられるものはこれくらいなんだ」
鶴「なるほど、非常に助かる。ありがとう、恩は忘れないよ」
鶴は厚く礼を言うと、男の子に別れて再び山の上によじのぼりました。しかし、よく思い返してみると、あの男の子の顔には見覚えがあった気がします。
鶴「…あっ、どうして気づかなかったんだ。あれは、阿公がさらっていった王子じゃないか。ということは、あるじってのは阿公に違いない。あそこで待っているべきだった」
鶴はこう考え、さっきの小屋を探してもう一度山を下りました。しかし、かなり込み入ったところにあった小屋ですから、もう見つかりません。日も暮れてしまいましたから、まったく別の方向に迷い込んでしまいました。石につまづいたり、ヤブで足を切ったりしながら、ひどく森の深いところに入ってしまったようです。
鶴「道が暗すぎる。月が出てくるまで、ここから動くべきじゃないな…」
そうして木の株に腰かけると、少しの間休みました。やがて月が出て明るくなると、鶴は、目の前に、ボロボロの霊廟があったことに気づきました。柱が斜めになり、屋根が半分くらい落ちてしまっていました。建物の額には、「天孫廟」と記されています。
鶴「なるほど、ここは国の始祖である天孫氏を祀る建物なんだ。こんなに荒れ果ててしまって… どうか天孫氏の霊よ、私をあわれみたまえ。我々兄弟のカタキ、阿公を討たせたまえ」
鶴はひざまずくと、天孫氏に長い祈りをささげました。そうしてから、神殿の中に入って夜を明かそうと考えました。しかし建物が歪んで扉が開かず、これは無理そうです。鶴は軒下に腰かけて椎の実を食べました。さきに男の子にもらったものです。
遠くに、複数のタイマツの光が見えました。数十人はいるようです。
鶴「む… もしかして、この霊廟は、盗賊のアジトにでもなっているのか。天孫氏を祀るべきもののはずなのに、世も末だな…」
鶴は身を隠すために、柱をよじ登り、「天孫廟」の額のウラの陰にひそみました。
現れた男たちは5、60人。それぞれがタイマツを片手に持ち、そしてもう片手には人の生首を持っています。タイマツは一カ所に集められて、夜空を照らすかがり火になりました。
男のひとりが「仰せの通り、祭りの贄を持ってきましたり」と、社頭にある巨木に向かって呼びかけました。すると木のうろの中から、白髪の老女が、ひとりの少年をつれて出てきました。
鶴「(あの少年は、さっき私に椎の実をくれた子だ。そしてあの老女… 見間違えようもない、母のカタキ、阿公!)」
鶴は弓を持っています。ここから阿公を一撃に殺すことはできるでしょう。しかし、それでは数十人の男たちから逃げることができません。あの王子にも後に正当な王位に戻ってもらいたいところですが、それもできなくなります。
鶴「しかも、亀もこの場にいない。私だけが勝手に阿公を殺せば、あいつが残念がる。しばらく様子を見るしかないか…」
男たちは全部で61人いました。その代表とみられる男がみなに合図すると、階段の下につぎつぎと生首が並べて置かれました。ぜんぶで80個ありました。
阿公「80個しかないのか。儀式に必要なのは9x9=81個だぞ。役立たずどもが」
男「いやあ、これでもずいぶん苦労したのです。夜中に一人で道を歩いているようなヤツはなかなか見つかりませんからな。朦雲が関所を厳しくしましたから、余計に仕事が難しいのです。あと2、3日もあれば、81個だろうと100個だろうと揃ったのですが…」
阿公「泣き言なんか聞きたくない。今日が天孫詣での100日目、その結願の夜なのだぞ。この王子が琉球王を継ぐという願いを叶えるために、予定通りの81個の首がどうしても必要じゃ。足りん分を、今すぐどこからでも持って来んか! できなければお前らの首をちょん切って使うからな!」
阿公はすごい剣幕で怒ります。横では、「王子」と呼ばれた男の子が、申し訳なさそうな表情をしています。
王子「阿公、やはり、罪もない人の首を使って儀式をするというのはよくないです。この3年ほどのあなたの苦労、並々ならぬものであることは知っていますが、もうよしませんか…」
阿公「何をおっしゃる、王子。この人参果の儀式の霊験は確かなものじゃ。この祈りの力であのにっくき朦雲を滅ぼし、そしてあなたが王になるのじゃ。天孫氏の唯一の正統である、あなたが!」
王子「うん、それは分かっている、つもりだけれど… 朦雲を倒そうとするのは、為朝や陶松壽たちもいたんだよね。もう生きているのかさえ分からないけど…」
阿公「為朝などという、単なるヨソモノの征服者のことなど構いますな! 陶松壽もあの為朝の肩を持つ裏切り者じゃ。あれらはすべて敵じゃ。だれも当てにはできん。つまらないことをおっしゃいますな、王子よ」
王子「姉君(寧王女)も死んでしまったし、私だけが王になったって…」
阿公「兄弟姉妹が殺し合って王位を争うのは珍しくもない、どの世でも同じでしょうが。あなた様の宿命はそういうものです。…お前ら、何を突っ立ってるんじゃ、さっさと残りの1個の首を持ってこい!」
阿公が一喝すると、男たちはあわててタイマツをひっつかみ、その場から離れて首を探しに行きました。この場には阿公、王子、そして額のウラに潜む鶴だけが残りました。
鶴「…いよいよチャンスが来た。これ以上のタイミングはない。阿公を殺し、王子を奪還する」
しかしこの瞬間、月が隠れて完全な闇夜になってしまいました。おまけに雨が激しく降り出して、雷鳴さえ聞こえます。
鶴「これでは狙いが定められん… 万一王子に矢が当たってしまっては、何もかも失敗だ。くそっ、男たちが帰ってくるまでに、もういちど月が出てくれれば…」
やがて、雨はおさまってきました。月もチラチラと雲間から見え隠れします。しかし、このタイミングと、出て行った男たちのうち3人がタイマツを持って戻ってくるのがほぼ同時でした。
鶴「なんて悪いタイミングだ…」
阿公「どうした、生け贄を連れてきたのか」
男「いましたぞ、最後の生け贄が。猟師用の無人の小屋から、イビキが聞こえたのです。中にはこのガキがひとりで寝ていました。すぐ首を切ろうと思いかけましたが、一応、阿公さまにお見せした上でもよいかと思い、生け捕りにしてここに運んで来ました」
阿公は黒い歯茎を見せてニタリと笑いました。「なるほど、やはり我々には運がある。よろしい、そいつの顔を一目見て、それから首を切ろう」
男は、その少年の前髪をつかんで顔をひっぱりあげ、それをタイマツの光で照らしました。それは、亀でした。