椿説弓張月、読んだことある?

64. 反撃の夜明け

前:63. 阿公の告白

■反撃の夜明け

致命傷を負い、鶴と亀にすべての真実を話し終わった阿公(くまぎみ)の前に、為朝(ためとも)たちに連れられた紀平治(きへいじ)が現れました。

紀平治(きへいじ)「老いたな、お互い。互いに名乗り合わなければ、誰かも分かるまい…」

阿公(くまぎみ)「…おぬしは?」

紀平治「さっき、扉の内側ですべての話を聞いていた。我々はたまたまここ天孫廟で、朦雲(もううん)を滅ぼすという念願の成就を祈って通夜ごもりしていたのだ。阿蘇の明神祭で出会い、一晩の契りののち、その形見の短刀を渡した男… それは私なんだ。阿公(くまぎみ)と言うのだな。お主があのときの女だったのか」

阿公(くまぎみ)「なんと、お前さまが…」

紀平治「鶴も、亀も、聞いてくれ。40年も前の懺悔話を、私もせねばならん。独身だったころ、私は若さに任せて、祭りの夜に、若い女と恋に落ちた。ただ、人目をしのぶ関係であるし、互いに名乗りもせず、互いの持ち物だけを贈りあって別れたのだ。私からはその短刀。そして、女からは一巻の巻物だった」

紀平治「あとでその巻物を開いてみると、それは琉球(りゅうきゅう)の地図と、そこでの言葉・風俗文化をくわしく記したものだった。これのおかげで、私は琉球通になったのだ」

紀平治「その後、再び会おうとお前を探しても見つけることができなかった。私はやがて諦め、結局は別の妻をもらった」

紀平治「いつか為朝(ためとも)さまに琉球(りゅうきゅう)を案内して鶴を探したことがあったが、あの巻物で勉強したことが役に立った。もっとも、若いときの恋人に巻物をもらったからだ、などとは言い出せなかったが」

紀平治「鶴よ、亀よ… お前らの名は、きっとあの刀の目貫(めぬき)から取られたのだろうな。刀の物語につらなる、わが孫よ。お前たちの立派な姿を目の当たりにするにつけ、私はなんとも言えず恥ずかしい。…ともあれ、これが私からの話だ」

阿公(くまぎみ)はもうかなり弱っていますが、紀平治に手をあわせ、ここに現れてくれたことを涙を流して感謝しました。「最後になって一目、お前さまに会うことができるとは、神に感謝する。どうか、孫たちをよろしくたのみます…」


鶴と亀は滂沱(ぼうだ)と涙を流しながら、そういえばこの子についてある「予言」があったな、と頭の片隅に思い出していました。母・新垣(にいがき)から聞かされたことがあります。生まれてくる子は一国の王となり、そして短命に終わる、と。


白縫もまた、今までの話を聞いて限りなく驚き、そして涙ぐんでいます。

白縫(しらぬい)「その王子は、尚寧王(しょうねいおう)の子ではなく、毛国鼎(もうこくてい)の子だったのだね。毛国鼎(もうこくてい)も、数代さかのぼれば、王家の血を継ぐもの。『王子』を名乗った罪はあっても、決して王位に即けない身分ではないわ。生きてさえいれば色々としようはあったのに… 殺してしまうことはなかったのに」

為朝(ためとも)も、王子の命が失われたことが残念でなりません。

為朝(ためとも)「幼きものは、無知の(ひじり)。こんな形で罪をつぐなういわれはなかったのに… 阿公(くまぎみ)は、なにかと(よこしま)なところがあったし、過ちもおかしたが、功績と呼べるものもいくつかあったのだ。紀平治に琉球の勉強をさせて私の役に立ってくれたのもあるし、今日までこうして王子を守っていてくれたこともある。朦雲(もううん)が今まで山南省を攻めずにいたのも、この王子の下に反朦雲(もううん)の勢力がまとまっていたからだ」


鶴と亀は、これらの話を、思い詰めた顔で聞いていました。

鶴・亀「…私たちは、今ここで死ななければなりません。知らなかったとはいえ、祖母を傷つけ、死に追いやったのです。罪を償わないわけにはいきません」

舜天丸(すてまる)「いいや、二人とも、死んではならない。阿公(くまぎみ)が祖母と知らなかった段階では、お前たちの行為は大きな孝行だ。結果としてこんなことになったのは事実だが、全体の事情を鑑みれば、死ぬほどの罰は不適当だ。ここは、髪の(たぶさ)を切り取って、首を切ったと同様のつぐないとみなすのが適当だ。いざ、刑罰!」

舜天丸(すてまる)はこう言い放ち、鶴と亀の髪を切り落としました。

舜天丸(すてまる)阿公(くまぎみ)の今までの行為を無駄にしてはいけないんだ」

鶴と亀はこの判断に感激して、いよいよ号泣しました。阿公(くまぎみ)もこれを見守って、よろこびに涙を流しました。

為朝(ためとも)「(フーム、やるなあ、舜天丸(すてまる)…)」

紀平治は阿公(くまぎみ)のほうに向き直りました。「阿公(くまぎみ)よ、もうこれ以上おぬしの苦痛を長引かせたくない。私が介錯する、よいな」

阿公(くまぎみ)は虫の鳴くような小さな声を絞り出しました。「…ありがとう、思い残すことは、もうない…」

阿公(くまぎみ)が手をあわせて目を閉じたところを、紀平治の刀が一閃しました。鶴と亀は身を焼くような苦しみに再度泣き、他の人々も阿公(くまぎみ)の悲しい生涯を哀れみました。

鶴・亀「…この戦い、必ず勝ってみせる!」


いつの間にか、阿公(くまぎみ)に命じられて出ていた男たちが戻ってきています。(先に帰ってきたのは3人だけだったんですね。)男たちは、為朝が生きていることに激しい喜びの意を表し、みな平伏しています。

男「ここにいるのは、阿公(くまぎみ)に仕えておりました東紀(とうき)南吉(なんきち)堤造(ていぞう)紅衛(こうえ)などでございます。さきに大将軍(為朝(ためとも))に従い、長川でともに戦ったものです。大将軍夫婦をはじめ、他の家臣のかたがたもみな討ち死にしたと聞いておりましたので、やむなくこの山に逃れて、阿公(くまぎみ)さまと王子につかえておりました。大将軍をはじめとする皆様が無事でいらっしゃるのを見て、まるで夜が明けるように嬉しゅうございます」

為朝(ためとも)「おお、そのときに戦ってくれた者たちだったか。喜ばしいことだが… しかし、若干の疑念がある。お前ら、鶴と亀の顔くらい知っていたはずではないのか。なんで亀を捕まえて、阿公(くまぎみ)の命令するままに首をはねようとした。国に忠義を尽くそうとする態度とは思えん」

男「大将軍がおっしゃるのは、ここに死んでいる三人のことでございますな。彼らは我々ともとから仲間だった者ではありません。20日ほど前に、急に我々のコミュニティに入ってきて、仲間に入れてくれと言ってきたのです。聞くと、陶松壽(とうしょうじゅ)さまの部下だったのだといいました」

陶松壽(とうしょうじゅ)「この三人が? いや、私にはこんな部下はいなかった」

為朝(ためとも)「ほう、どうもワケがわからんな。お前らの言うことが本当なら、この三人は何者なんだ」

舜天丸(すてまる)が前に出ました。「なるほど、なんとなく分かってきました」

為朝(ためとも)「というと?」

舜天丸(すてまる)「ここに阿公(くまぎみ)が王子を守って兵をひそませていることくらい、たぶん朦雲(もううん)は分かっていたでしょう。それで、勢力を内部から分断するために、スパイでも送り込んだのではないでしょうか。この三人のことです」

舜天丸(すてまる)「鶴と亀を殺したのは陶松壽(とうしょうじゅ)どのの部下だった、ということになれば、父上は陶松壽(とうしょうじゅ)のことを疑い、我々は一枚岩でいられなくなる。これが狙いだったんだと思います」

為朝(ためとも)「なるほど、実にありそうなことだ。だれか、この死んだ者たちのことをもっと調べてみてくれ」

死んだ男たちの懐を探ると、案の定、三人ともウロコのような割符を持っていました。他の誰も、こんなものは見たことがありません。

男たち「おお… こいつらは朦雲(もううん)の回し者だったのか。このことを一瞬で見抜いたこの舜天丸(すてまる)さまというお方は、すさまじい智力を持っておられる…」

為朝(ためとも)は、男達への疑念をすっかり解きました。

為朝(ためとも)「なるほど、すっかり納得がいった。お前たち、ここにいない者も含めて、もと兵士だったものはどれくらい集められる」

男たち「300名くらいです」

為朝(ためとも)「よし、それなら十分な戦力だ。…お前たち、これから私は、朦雲(もううん)にリベンジ戦を挑む。みな、手伝ってくれるか!」

男たち「おお!!」

夜が明け、空がほのぼのと白んできました。


次:65. ラストバトル
top