66. 夫婦塚
■夫婦塚
為朝たちの総力戦によって、ついに朦雲は首を切り落とされて死にました。その瞬間、空がにわかに真っ暗になり、おびただしい雨が降ってきました。舜天丸はこれを予測していたかのように、味方全員にすばやく雨具を配りました。
為朝「おお、助かる。しかし、なんで雨具がいると知っていたんだ?」
舜天丸「大殺ののち、風雨ありと言います。天は、殺戮の余気を鎮めるために大雨でこれを洗おうとする性質があるのです。今日朦雲の退治に成功したら、きっとこんな雨になるだろうと思っていました」
為朝「なるほど、そういえば近江で山男を殺したときも、こんな感じだったな…」
やがて雨もやみ、目の前もよく見えるようになってきました。気づくと、朦雲の死体は、人間の姿から異形のものに変化していました。体長が10メートルをゆうに超す、巨大な虬です。これが彼の正体だったのです。爪は大船の碇のよう、目は磨き抜いた鏡のようです。また、体は鉄のように固い鱗に包まれていました。
陶松壽「琉球建国の伝説に、巨大な虬のことが出てきます。天孫氏は、民を苦しめていた大虬を退治し、その死体を虬舊山に埋めました。また、これのアゴから出てきた玉を「琉」「球」と名づけ、代々の王に受け継がせることにしたのです。朦雲の正体は、このときの虬が蘇ったものだったんですね…」
陶松壽「天孫氏の伝説は、さらにこう続きます。彼は、遠い未来に、国王の徳が衰えて、虬が蘇る時がおとずれると予言しました。そして予言はこう続きます。『国衰えるとき、東方に日輪あり。朝に出でて、わが国の為に照らさん』」
陶松壽「今では、この予言の意味が分かります。東方、つまり日本から来た英雄が、この国を救ってくれるということだったのです。『朝』に出でて、わが国の『為』に… そう、予言されていた勇者は、為朝さま、あなたのことだったのです!」
朦雲だった虬のアゴの下から、二つの玉がこぼれ落ちていました。陶松壽はこれを拾い上げ、うやうやしく為朝に差し出しました。
陶松壽「これを受け取り、琉球の王となってくだされ、為朝どの!」
しかし、為朝はこれを受け取りません。「ちょっと、そんな話は困るなあ。まあ、そういうのはあとにして、今のところはお主がそれを預かっておいてくれよ。それはそうと、このバケモノの死体を処理したいところだ。燃やせばなんとかなるかな?」
試しに柴を積み上げて火をつけてみましたが、虬の死体はちっとも燃える気配がありません。仕方がないので、付近の草むらの中に運んで、そこに捨てることにしました。すると、その場で虬の死体は溶け出し、あっという間にあとかたもなくなってしまいました。
為朝「溶けたぞ。どうしてだろう」
舜天丸「どうも、この草は、蛇の毒を消す効力があるみたいですね。ここらにこの草は多いんですか」
年配の兵士「いや、見たことがありませんなあ」
舜天丸「それなら、これもまた、朦雲の退治を助けてくれた神の賜物ということですね」
さっき朦雲と戦って傷を負った兵たちは、体に毒が回って苦しんでいました。為朝たちがこの草の汁をそれらの負傷者に塗ってまわったところ、みなたちまち毒が消えて元気になりました。
為朝「よし、これでみんな完了だな。みんな、勝ち鬨をあげろ!」
勇ましい喜びの声が、平野じゅうに響きました。
朦雲が死んだことにより、それまで彼が領有していた中山や山北を中心としたすべての領地は、ことごとく為朝に降参しました。もちろん首里の龍宮城も明け渡されました。そこの大門には朦雲だった虬の首がしばらく飾られて、付近の民はこれを見物に訪れました。その後、この首も例の草むらに捨てられて、土の中に溶けてしまいました。
やがて一通りのことが落ち着きを取り戻したある日、為朝は皆をミーティングルームに呼び寄せ、今後のことを相談しました。
為朝「次の王をだれに任せるかというのが、直近の問題でなはいかと思うんだ。順当に考えれば、寧王女の体を受け継いだ白縫がふさわしいと思う」
白縫はこれを聞いて焦ります。「まって、まって。たまたま私は王女の体を借りてはいますが、心は為朝の妻・白縫なんですよ。王なんて無理。夫を差し置いて自分が琉球の王なんて、天に許されないことだわ」
なるほど、その通りかも知れません。皆は一斉に為朝の方を向きました。
為朝「何だよ」
陶松壽「やっぱりあなた様が王に就くしかないでしょう。徳は高く、そして先王の婿にあたる方。お願いです、すみやかに王位を継いで、民と家臣を安心させてください」
為朝「だめだ、だめだ。オレはたまたまこの国に立ち寄って、成り行きで仕事をしただけだ。栄利を望む心は一切ない。そもそも、(平)清盛を討って崇徳院への忠義をつらぬくことが、オレの変わらぬ宿願だ。まあ、清盛はもう死んでしまったという話なのだが、それならそれで、オレは崇徳院の墓に詣でて、そこで腹を切るまでだ。ともあれ、琉球の王にはならん。誰もこの意思を動かすことはできんぞ」
陶松壽「そ、そうですか…」
皆は考え込みました。そして同時に、舜天丸の方を向きました。
舜天丸「…どうしたんです?」
陶松壽「それならもう、舜天丸さましかいないでしょう。父の功を子が受け継ぐというのは世の習いです。そもそも、朦雲を直接退治したのはあなた様です。誰も舜天丸様が王位を継ぐことに異議があろうはずがない」
家臣一同「そうです、そうです! あなた様が国王だ!」
皆がソレソレと舜天丸を王位に運び、そこに座らせようとしました。
舜天丸は顔色を変えて怒ります。「いい加減にしてください! 子が親を超えるような真似をしていいはずがないでしょう! 親不孝者が王になったところで、民に何を教えられるって言うんです」
結局こんなわけで、誰が王になるのかが決められません。この話は当分ペンティングとするしかないようです。
紀平治が話の方向を変えました。「ま、まあ、誰が国の王になるかなんて、人の意思で定めるのは難しいことですからな… 今は考えないでおきましょう。しかし為朝どの、ぜひこの国の摂政をしばらく務めてくだされ。さしあたり、今回の戦の論功行賞をしなくてはなりますまい」
なるほど、というわけで、今回の戦で誰がどういう活躍をし、どういう褒美があるべきかを議論することになりました。
しかし、誰も褒美を受け取ることに気が進まないようです。
陶松壽「だって、戦功第一の為朝親子が賞を望まないのでは、他のみんなも受け取りたくないでしょう」
為朝「いや、これは話が別だぞ。活躍した者が正当な評価を受けるのでなければ、すぐに国は乱れてしまう。すぐに賞を定めよう」
こうして、為朝がメインとなって、それぞれの賞が次々と定められていきました。ここは半分くらい省略しますが、越来の領主を陶松壽が(東風平と併任)、中城の領主を鶴が、龍宮城の城主を亀が、浦添の領主を舜天丸が… といった感じです。
鶴・亀「為朝さまは?」
為朝「オレはもとのとおり、大里の領主をつとめさせてもらうよ」
みんな、為朝にはもっと偉い身分になってもらいたいと願ったのですが、本人は絶対に聞き入れませんでした。
さて、みながそれぞれの任地に去り、平和な時が続きました。やがて季節は秋になりました。為朝は、自分の領地内や古戦場を巡って、みなを励まして歩こうと思い立ちました。白縫も連れて出かけます。
はじめに、天孫廟。次に、尚寧王の墓所。次に、廉夫人が死んだ場所におもむき、それぞれ弔いの祈りを捧げました。
為朝「近くに、真鶴の卒塔婆塚もあるな。そこにも寄ろう」
卒塔婆塚に登る山道の直前で、陶松壽が為朝たちを迎えました。「為朝どの、わざわざ真鶴の墓を訪れてくれてありがとうございます」
そこから一緒に山を登っていきました。塚が近づいてきたあたりになって、急に空が暗くなってきました。急に雷雨がはじまり、為朝たちはこれが止むまで適当な木の下で雨宿りをしました。途中、ピシャッ、ドカンという轟音が鳴りました。
為朝「…今のカミナリは大きかったな。塚の近くに落ちたんじゃないか」
やがて雨が晴れましたので、為朝たちは再び歩き出し、やがて目的地に着いたのですが… 塚として盛ってあった土が崩れてしまっていました。まさにここにカミナリが落ちたのです。
そこにできた穴の中から、なんと、赤子の泣き声が聞こえます。
陶松壽が駆け寄って、柔らかい土を掘ってみました。中から出てきたのは、男の子と女の子の赤ん坊が一人ずつです。生まれて100日目ほどのように見えます。
陶松壽「…? この子は?」
白縫が子を袖に抱きとり、つくづくと赤ん坊の顔を見ながら微笑みました。「これは、松壽や、お前と真鶴の子に違いないよ。お前、半年近く、この娘の霊と一緒にいたのだろう。互いの気が交わって、子ができたっておかしくないよ」
為朝もこの赤ん坊を見ていましたが、急に何かに気づいたようです。「この子たちは、高間と磯萩によく似ている! あれらは琉球に渡る最中に舜天丸を救って死んでしまったのだが、その霊もこの場に何らかの作用を及ぼしたに違いない。… 陶松壽よ、この子らを育ててやってくれ」
陶松壽は感激しました。「私に世継ぎがないことは、少なからず心残りでした。こんなうれしいことはない! 実は、さきに真鶴の霊が千歳と名乗って私のそばにいたころ、少しお腹が大きくなっている気配があったのです。気のせいだと思っていたのですが、本当に… 本当に子を孕んでいたのだ」
為朝は、この場所を卒塔婆塚あらため夫婦塚と呼ぶことと定めました。また、ここで生まれた赤子は、高間と磯萩の名を取って、高満と小萩と名づけられました。
為朝「それにしても、こういう風に山でカミナリに会うと、今でも筑紫でのことを思い出すな。あのとき、オオカミの山雄と部下の重季が死んでしまったんだ。あの無念さは今でも忘れていない… ん?」
為朝は、塚のそばにひとつの鏃が落ちているのに気づきました。拾い上げてみると、そこには「鎮西為朝」と名が彫ってあるのでした。
為朝はさっきのカミナリの正体に気づきました。「そうか! あれは、オレが筑紫で矢を射かけた雷公だったのか。あれは、オレの恨みを詫びるため、今日ここでは、陶松壽に子を授けるのに一役買ってくれたということなのだな」
陶松壽「(カミナリを矢で撃った? 何やら今、サラッととんでもないことを…)」