椿説弓張月、読んだことある?

67. わかれ

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■わかれ

(みずち)の化身、朦雲(もううん)国師が琉球(りゅうきゅう)国を奪おうとした事件もすっかり解決し、民はそれから平和な時を楽しみました。唯一、気がかりがあるとすれば、誰が次の琉球王をつとめるのかということくらいです。

それから5、6年が経ったころです。佳奇呂麻(かけろま)林太夫(りんたいふ)のもとに、漁師が珍しい報告を持ってきました。なんと、近海で人魚が獲れたというのです。

漁師「いつものように網引(あびき)をしていたら、これがかかって死んでいたのです。人魚の肉を食べると不死になるというウワサがあるではないですか。ビックリして、まず太夫(たいふ)に報告を、と…」

林太夫(りんたいふ)「うむ、これは大変だ。これは、大里の為朝(ためとも)さまに差し上げることにしよう。独り占めせずに、よく正直に報告してくれたな」

漁師「わたしも為朝さまに不死になって欲しいんです」

太夫(たいふ)は、この漁師を連れて、大里の為朝(ためとも)を訪ねていきました。もちろん、ワラで巻いた人魚を持参しています。

為朝(ためとも)「ふむ、お前たちの心遣い、ありがたいぞ。しかし、オレ自身はこういったものにあまり興味がない。人魚の肉で不老不死って、俗説じゃないかなあとも思うんだ。ともあれ、こういったものの処分は、国王でもないオレには決められん。中城(なかくすく)白縫(しらぬい)に持っていってやってくれ」

林太夫(りんたいふ)たちは、人魚を中城(なかくすく)に運びました。そして白縫(しらぬい)にここまでの話を説明しました。

白縫(しらぬい)「夫が受け取らないものを、私が受け取るのはおかしなことですよ。お持ち帰りなさい」

白縫にも受け取りを断られたので、困った太夫(たいふ)たちは、今度は浦添(うらぞい)舜天丸(すてまる)のところへ運びました。紀平治(きへいじ)を通じて舜天丸(すてまる)に会います。

舜天丸(すてまる)「両親が受け取らないものを、私が受け取れるはずはありません。これはやはり父上のもとに運んでください」

こうして、人魚は、為朝たち親子にタライ回しにされてしまいました。季節は夏です。浦添(うらぞい)から大里に行く途中で、ついに人魚は腐ってしまいました。漁師たちはこれを道ばたに捨て、情けなさに泣きました。


舜天丸(すてまる)は、林太夫(りんたいふ)を追い返したあと、若干気が沈みました。タライ回しになりながらここまで運んで来てくれた人たちを気の毒に思ったのです。

舜天丸(すてまる)「私は、人魚の肉で不老不死なんていう説を信じてはいないんだけど、あれは悪かったなあ。それはともかく、あの人魚の上半身は女性のようだったけど、海で死んでしまった母上のことが妙に思い出される。ちょっと、中城(なかくすく)まで母を訪ねてみようかな、ひさしぶりに」

為朝(ためとも)のほうでは、別の考えから、中城(なかくすく)を訪ねようと考えていました。

為朝(ためとも)「オレが受け取らなかった人魚を、きっと白縫も舜天丸も受け取らないに違いない。こんなことが度々(たびたび)起こっては、民がかわいそうだ。やっぱ、国に王がいないのが不都合なんだよな。よし、白縫をなんとしても説得して、琉球(りゅうきゅう)王になってもらおう」

こうして、為朝(ためとも)舜天丸(すてまる)・紀平治は同時に出かけ、中城(なかくすく)の入り口でばったり出会い、この偶然に驚きました。ついでに、この場には陶松壽(とうしょうじゅ)もいます。たまたま彼は為朝(ためとも)のもとに訪れており、今回一緒にここまで来たのです。

これら一同で、城に入っていきます。白縫(しらぬい)は皆が一度にここを訪れたのに驚き、「ちょうど話をしたいと思っていたところに、なんと都合のよいこと」と喜びました。そばには、ここの領主をつとめる鶴がいます。

為朝(ためとも)「どんな話だ」

白縫(しらぬい)「もちろん、為朝(ためとも)さま、あなたが王位に就くべきだという話です」

為朝(ためとも)「なんだと」

白縫(しらぬい)「先日、漁師たちがここに人魚の肉を持ってきました。それを、ここにいる全員が受け取らずにタライ回しにしたせいで、最後には腐ってしまったのだそうですよ。なんと気の毒なことではないですか。やっぱり、誰かが琉球王をつとめる必要があるんですよ。そしてそれは、アナタ以外にいない」

為朝(ためとも)「なるほどな… オレも同じ考えだ。ただし、王になるべきは、寧王女(ねいわんにょ)の体を受け継ぐオマエであるべきだ」

白縫(しらぬい)「私にはできませんよ」

為朝(ためとも)「いいや、今日はハッキリさせよう。天孫氏(てんそんし)の正統を継ぐのは、やはりオマエしかいない。オマエが国王をつとめると言ってくれなければ、オレはこの国を出て行く。頼むからウンと言ってくれ」

ここまで為朝(ためとも)に迫られて、白縫(しらぬい)は苦悶の表情を浮かべました。

白縫(しらぬい)「…今まで、私の勝手でここまでやってきましたが、これ以上民を苦しめてはだめね…」

白縫(しらぬい)「私がここでかりそめの命を保っているのは、夫のそばにいて、そして舜天丸(すてまる)が育つさまを見届けたかったからなの。いつまでもこうしていたいけど、そんな勝手は許されないわよね…」

為朝(ためとも)「? 何を言っている」

白縫(しらぬい)舜天丸(すてまる)や。徳を養い、民を愛し、父祖に恥じない立派な人物になりなさいね。後の世の見本になるような…」

舜天丸(すてまる)「急にどうしたのです母上」

白縫(しらぬい)為朝(ためとも)さま。そして舜天丸(すてまる)。私が王になれないワケを見せるわ。もう12年も前になるわね。私が寧王女(ねいわんにょ)に乗り移った日、あの人は、もう少しで地元の不良少年たちに殺されてしまうところだった… 違うのよ、あのとき、すでに胸を刺されていたのよ。致命傷だった」

白縫(しらぬい)「私は、王女の死体に乗り移り、そして今まで、夫と子を思う執念だけでここに形を保ってきたの。ごらん」

白縫は、着物の前をはだけて、みなに胸元を見せました。そこには、今つけられたばかりのような生々しい傷があります。胸から背にかけて貫通しているようです。

白縫(しらぬい)「さようなら、みんな」

その傷口が外気に触れたとたん、ひと筋の白い煙が外に出て、それから急に出血が激しくなりました。白縫はくずれ落ち、顔から生気がすっかりなくなりました。

舜天丸(すてまる)「母上! 母上!」

舜天丸は白縫の死体を抱き起こして絶叫しますが、その腕のなかで死体はみるみるしなびていき、やがて一塊の白骨になってしまいました。それを見下ろして、為朝(ためとも)も悲しみに立ち尽くします。

為朝(ためとも)「…そうだったのか。今までありがとう、白縫。舜天丸(すてまる)よ、今まで母がこうしてそばにいてくれたことを、この上ない幸いと考えるがいいぞ…」

国中に、王女(わんにょ)の死のニュースが伝わりました。人々は寧王女(ねいわんにょ)を失った悲しみに打ちひしがれましたが、同時に、白縫(しらぬい)の子を思う気持ちが起こした奇跡に驚嘆しました。彼女の葬儀の様子は、今回は省略しましょう。


この年の秋に、富蔵河(ふぞうがわ)が増水して、堤防の一部が壊れるといった事件がありました。為朝(ためとも)陶松壽(とうしょうじゅ)がこれの復旧工事を指揮して、無事に工事が完了しました。このことはまあよいのですが、為朝は、このとき、子供のひとりが歌っていた歌を聞いて、ある記憶を呼び覚まされました。

神人(しんじん)きたれり 水は清し 神人(しんじん)きたれり 白砂は米となる』

為朝(ためとも)「この歌は、6年前に、オレが琉球の本島に渡ってきたときに聞いたやつだなあ。…あっ、6年といえば!」

陶松壽(とうしょうじゅ)「どうしたんです」

為朝(ためとも)巴麻(はま)島で、私は仙人からの伝言のようなものを受け取ったのだった。6年後に八頭山(ややま)で会おう、と。そうだ、私はそこに行って、私を助けてくれた者に会わねばいかん!」

舜天丸(すてまる)は、為朝(ためとも)が山に登って仙人に会おうとしていることを知って、心配がりました。

舜天丸(すてまる)「もしかして、父上まで私のもとを離れて行ってしまうのではという予感がするんです。よしてください」

為朝(ためとも)「ハハハ、何を言う。人の出会いと別れは、そもそも天に任すべきものだ。人ごときが、最初からコントロールできるものではない。そんなことは気にしたって仕方がないのだぞ。大体、お前はいまや、知勇ともにオレより上だ。オレに何かあったって、充分、ひとりでやっていけるさ。ただし、陶松壽(とうしょうじゅ)や鶴・亀たちのことを大事にするんだぞ。優れた人物を尊敬し、絶えず自分が増長していないかどうか自ら省み、戒め続けよ。そして、民にはいつでも公平であることを心がけよ。いいな」

為朝(ためとも)はこう言うと、今まで使っていた弓と、真鶴(まなつる)の太刀を舜天丸(すてまる)に与えました。

舜天丸(すてまる)「そんな、余計に心配させるようなことはやめてくださいよ…」

さて、為朝(ためとも)は七日間の物忌みをして、身体を清浄にしました。そうして、黄金のヨロイに身をつつみ、白馬に乗って八頭山(ややま)に向かいました。舜天丸(すてまる)・紀平治・陶松壽(とうしょうじゅ)・鶴・亀・林太夫(りんたいふ)も、彼に許されて着いていきました。山の麓で為朝(ためとも)は馬を降り、一同は徒歩で山に登っていきました。


山の頂上まで登っていくと、そこにはひとりの老人が、鶴にもたれて座っていました。眉もあごひげも長くて真っ白です。

老人「ふむ… 約束通り、来たな」

為朝(ためとも)「はい。この為朝(ためとも)、日本から浮浪した身でありながら、義に従い、この国の内乱を鎮めることができました。すべてあなた様の応護(おうご)のおかげです。また、舜天丸(すてまる)に再び会うことができたのも同じくあなた様のおかげなのですね」

老人「ふーむ」

為朝(ためとも)「どうぞお名前をお聞かせくだされ」

老人はヒゲをなでました。為朝以外の連れの連中も、みな地面に額づいています。

老人「まあ、慌てることはない。順番に話していこうかの」

- - -

ワシは、琉球を建国した天孫氏(てんそんし)の、その父にあたる存在じゃ。天孫(あまみこ)とか、阿摩美久(あまみく)とか呼ばれておるな。他にもいろいろな名で呼ばれておる。海神(わだつみ)だの、君眞物(きんまんもん)だの、南極老人だの、あとは福禄寿(ふくろくじゅ)なんてのもあったな。

ワシは、このとおり、ペットの鶴を一羽持っておるんじゃが、ちょっと昔に、こいつが陸奥(みちのく)をフラフラ飛んで遊んでいたとき、鷹に襲われて傷を負ったことがある。しかし、その鶴を捕らえた(みなもとの)義家(よしいえ)(八幡太郎)は、奥州での戦役の戦没者供養のために、ワシの鶴をふたたび空に放ってくれたんじゃ。そのとき鶴の足に結びつけた金の札は、それ以来、感謝の印としてずっと同じところに結びつけておった。こういうわけで、ワシは源氏が好きなんじゃ。

さて、それから90年ほどして、同じように鶴がピンチに陥った。今度は、筑紫の山の中で、金の札が松の枝に引っかかって、身動きができなくなった。それを救ってくれたのが、覚えておろう、為朝(ためとも)よ、お主のことじゃ。源氏の人間に再び鶴を助けてもらい、ワシはとっても感激したもんじゃ。

それ以来、ワシはお主の冒険を見守り、要所要所でいろいろと助け船を出した。いちいち説明はせんが、鶴が出てきて助かったことが、いろいろ思い出せるじゃろう? まあ、ワシだけじゃなくて、崇徳院(すとくいん)の霊も色々とお前や白縫を助けていたようじゃが。

こないだ、舜天丸(すてまる)君が朦雲(もううん)を倒したときに、上空でそれを見守ったり助けたりしておったものは… ワシじゃろう、天照(あまてらす)大神(おおみかみ)じゃろう、八幡(はちまん)大神(だいじん)じゃろう、阿蘇(あそ)明神(みょうじん)じゃろう、讃岐の金比羅(こんぴら)じゃろう、あ、あと、崇徳院(すとくいん)な。けっこう賑やかな場面だったぞ。人気者じゃな、おまえら。

さて、不幸なことに、ここ琉球国において、天孫氏(てんそんし)の正統は断絶してしまった。実はこの琉球(りゅうきゅう)は、未来においては日本の属国となる運命なんじゃが、まだそれには早い。当分は、王を継いでくれるものがおらんといかん。為朝(ためとも)よ、お主はそれにふさわしいが、お主はまた忠義のカタマリのような男じゃ、君父のカタキを滅ぼすことが何より優先であろう。だから、琉球の王となるべきは、舜天丸(すてまる)をおいて他にはおらん。

- - -

福禄寿「まあ、とりあえずこんなところじゃ。ところで、大体知っておるじゃろうが、お主の生涯のカタキである清盛(きよもり)はもう死んでおるぞ。お主、これからどうする」

為朝(ためとも)「(にっこり)そうですか、清盛は死にましたか。ならば私には思い残すことはない。、それが私の最後の望みです」

福禄寿(ふくろくじゅ)もまた、これを聞いてニッコリしました。「さすがじゃな。お主の徳は、すでに神に近いところまで完成しておる。今のお前には、船も車もいらん。もうすぐが来るはずじゃから、それらとともに行くがよい」

仙人がこう言い終わらないうちに、一筋の雲が湧いて、為朝(ためとも)たちの前にわだかまりました。

その上にいたのは…

為朝(ためとも)「源九郎!」

為朝の弟である、源九郎為仲(ためなか)です。他にもたくさんいます。保元の乱で死んだ、兄弟たちや仲間たち。筑紫で死んだ、須藤九郎重季(しげすえ)もいます。

為仲(ためなか)「お迎えにあがりました。父上や、崇徳院(すとくいん)がお待ちかねですよ」

雲の上には、さらに、白縫もいました。在りし日の姿の白縫は、勇士たちの霊の後ろで、ニコニコと笑って為朝(ためとも)を招きます。

為朝(ためとも)「ああ、帰ろう。日本に」

こう答えると同時に、為朝の姿は一瞬で雲の上に移りました。麓に乗り捨てたはずの白い馬にまたがっています。為仲と白縫が、左右から馬のを取りました。

そうしてこれら一同は、雲に乗って、スッと上空に昇り始めました。それと同時に、姿が薄れていきます。舜天丸(すてまる)はたまらず叫びました。

舜天丸(すてまる)「父上! 母上! 舜天丸(すてまる)を置いていかないでください!」

紀平治、松壽(しょうじゅ)、鶴、亀、林太夫(りんたいふ)もまた、幼子が母と別れるような悲しみを感じながら、諸手をあげて、雲の上の姿に呼びかけ続けました。

そしてついに、為朝たちの姿は完全に見えなくなりました。


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